コラム

たくさんの人に助けられた命―感謝!

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私(成澤)と山田きみえ(2人でたんぽぽを創業)がたんぽぽから完全に引退してから1年以上が過ぎましたが、私は昨年の10月から川崎町でヘルシーレストラン「わたすげ」の料理長を始めていました。

「わたすげ」オープンに向けての準備中、オープンしたら「たんぽぽつうしん」を書く余裕も出てくるだろうと思っていましたが、オープン後も忙しく、季節はあっという間に秋から冬へ。とてもつうしんを書くどころでありませんでした。

レストランがオープンするのは毎週金曜、土曜、日曜の3日間だけですが、私は1週間フル回転でした。

メニューの考案、材料の発注、料理の仕込みなどの全てを私自身が担っていたからです。日替わりで来てくれるパートスタッフには月替りランチの仕込みを手伝ってもらっていましたが、全ての流れを把握しているのが私だけなので、何時までに何をやらなければならないかをスタッフに指示するだけで時間はあっという間に流れてしまい、いつも時間に追われながら焦っていました。

10月にオープンする前には、私の右腕として一緒に働く予定だった専属スタッフ候補がいたのですが、その方が諸事情により働けなくなってしまったので、レストラン全体を把握できる人間が私以外に居ない中のオープンとなってしまったのが、超多忙になってしまった原因でした。

オープン後は、求人募集をしても専属スタッフになってくれるような人は見つからず、パートスタッフに常設メニューの仕込みや作り方を含めた、レストラン全体の業務を教え始めた矢先、正月でホッと気が抜けたタイミングで、私は限界を超えてしまいました。

1月3日の未明に、私は自宅で倒れて意識を失ってしまったのです。

それから6日間も生死の狭間を彷徨い、気がついた1月8日は救命救急センターのICU病床でした。

後になって聞かされましたが、私が意識を失った時、私の心臓は止まりかけていたそうです。それを連れ合いが必死に心臓マッサージをしながら救急車を呼んだそうです。

救急車が自宅に到着した時は、連れ合いの心臓マッサージにより動いていた心臓も、救命救急センターに到着する5分前に完全に止まり、心肺停止で救命に搬送されました。 救命センターでは、アドレナリンの投与やAEDによる蘇生が行われましたが、私の心臓は動き出したと思ったらすぐに止まってしまう状態を繰り返し、投薬と心臓マッサージでなんとか生命を保っている状態だったそうです。 救命医と循環器の専門医からは、「早くて1時間以内に亡くなります。もし持ち直しても、最良で植物状態でしょう」と宣告され、一時は絶望的だったようです。

その後様々な投薬を経て、私の心臓はなんとか持ち直しましたが、心肺停止状態と低酸素状態が長く続いたので、意識が戻るまでは安心できない状態だったそうです。

意識が戻った後に来てくれた友人からは「良かったねー、ハー君(私の連れ合い)のおかげだねー」と、涙を流しながら喜んでもらい、連れ合いからは「救命センターのスタッフや駆けつけてくれた多くの人に助けられたんだよ!」と言われました。

一度失いかけ、たくさんの人に引っぱりあげられたこの命。「お前はまだ地上でやる事が残っている」と神様に門前払いをくわされたという気もします。(その後の精密検査でも、心肺停止の直接的な原因は不明のままで、医師も首をかしげている)

そんな絶望的な状態から奇跡的になんの障害も残さず(今はまだ僅かに左側の手がしびれる)、歩けるようにまで筋力も回復してきて、31日に退院も決まりました。

たくさんの人に助けられたこの命、これからは無理せず、自分の体の声に耳を澄ませながら、ゆっくりと復帰を目指したいと思います。

成澤 敏江

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